東京家庭裁判所 昭和46年(家ロ)70号 審判
〔主文〕当裁判所が昭和三三年三月一一日になした申立人の就籍を許可する旨の審判を取り消す。
〔理由〕一 当裁判所昭和四六年(家)第七、〇八五号戸籍訂正許可申立事件記録添付の各戸籍謄本並びに申立人および参考人吉永ミキに対する当裁判所の審問の結果によれば、次の事実を認めることができる。
1 件外吉永ミキ(本籍東京都○○区○○町○丁目―現在○○△丁目―○○○番地)は、昭和一五年秋頃東京都○○区○○の某喫茶店に住み込みで稼働中中沢和夫(東京都○○区―現在○○区―○○町○番地)と知り合い間もなく○○で同人と同棲し、昭和一六年八月八日その間の子として申立人を分娩したのであるが、申立人の出生届未了のまま、右中沢和夫には妻子があつて同人と婚姻できないところから、昭和一七年初め頃同人との関係を解消し、その際右中沢和夫は、申立人を引き取り、東京都○○区に居住する妻子の許に戻つたこと、
2 申立人は、その後中沢和夫とその妻ふみによつてその間の子中沢洋子、中沢春江等とともに育てられたのであるが、居住家屋が戦災にあい、中沢和夫は終戦後その妻ふみと事実上離別し、申立人のみを連れて、千葉県君津郡○○村に行つたものの、申立人を監護養育するだけの生活能力がなく、申立人は小学校六年在学中千葉県君津郡○○町の某養護施設に預けられ、同施設から○○町の小学校および中学校に進学し、その間昭和三一年三月三一日頃右中沢和夫は死亡したこと、
3 申立人は中学校卒業後、東京都中野区某○○学校に入学したのであるが、戸籍謄本の提出を求められ、前記中沢洋子および中沢春江と会つて、調査してもらつた結果、申立人については出生届がなされておらず父中沢和夫の戸籍にも、母吉永ミキの戸籍にも在籍していないことが判明したこと、
4 しかも申立人の出生届をなすべき母吉永ミキの所在も明らかでなかつたため、申立人は、当裁判所に対し就籍許可の申立をなし、当裁判所は、昭和三三年三月一一日に申立人につき「本籍東京都○○区○○町○番地○筆頭者中沢徳子、氏名中沢徳子、父母不詳、続柄女、生年月日昭和一六年八月八日」として就籍を許可する旨の審判がなされ、この審判に基づいて申立人は就籍届出をなしたこと、
5 申立人は前記○○学校卒業後○○師の資格をとり、東京都中野区内の某○○店に勤務中、昭和三七年一〇月二日舟田宏元と婚姻し、東京都○○区○○町○番地○に新戸籍を編製したのであるが、昭和四四年六月二日同人と協議離婚し、東京都○○区○○町○番地○に新戸籍を編製し、更に昭和四五年二月二五日阿倍正雄と婚姻し、埼玉県川越市○○△△△番地△に新戸籍を編製したこと、
6 その間昭和四〇年頃件外吉永ミキは、前記中沢春江を通じて申立人の消息を知り、申立人と再会し、以後申立人と親子として往来していること、
7 申立人は、昭和四五年八月二七日、夫阿倍正雄との間の子として長男守を分娩したのであるが、従前の就籍戸籍のままでは、父母の記載がなく、右守が成長した場合に母親である申立人の父母が不詳のままでは、困ると考え、右吉永ミキに出生届をしてほしいと懇請し、同女もこれに応じて昭和四六年二月一三日東京都江東区長に対し申立人の出生届をなし、この出生届出により、東京都○○区○○△丁目○○○番地に吉永ミキを筆頭者とする戸籍が編製され、その戸籍に申立人は入籍し、母吉永ミキ、母との続柄女、出生年月日昭和一六年八月八日等と記載されたこと、
二 右認定事実によれば、申立人の母が吉永ミキであることが明らかであり、その母から出生届出がなされ、母について編製された戸籍に申立人が入籍した以上、当裁判所が昭和三三年三月一一日になした申立人につき「本籍東京都千代田区○○町○番地○筆頭者中沢徳子、氏名中沢徳子、父母不詳、父母の続柄女、出生年月日昭和一六年八月八日」として就籍を許可する旨の審判は、誤りであることは明白であるから、これを取り消すべく、家事審判法第七条非訟事件手続法第一九条により、主文のとおり審判する次第である。 (沼辺愛一)